お久しぶりです。生きてます。

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ご無沙汰しております。

ずっっと更新してなくてごめんなさい。

まだ生きてます。ななです。

ブログの内容はネパールのカトマンズで止まっていますが、実は、僕の身体は1ヶ月前、すでに日本に帰ってきてしまっておりました。

 

いやー、ほんと。いろいろな事件がありました。

ひとまずこの旅中に起こった出来事で、ブログにかけていないものの概要を羅列したいと思います。

これ読んで、あーこの人の旅って大変だったんだな と思っていただけたら幸いです。(実際大変でした)

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旅の後半に直面した事件

 

【1月中旬】

カトマンズにて、ATMからお金がおろせなくなり、残金が尽きかけた。

→旅先の友人から現金を御借りし、また両親から銀行経由で送金してもらい、難を逃れた。

 

 

【1月下旬】

陸路でチベットへ抜けようと考えていたら、ツアー料金がアホほど値上がりしていた。(昔500ドルだったのが、今は2000ドルになっていた)

→諦め、タンザニアへいくことにした。

 

 

タンザニアへ行くため、カタール経由で航空券を購入。このとき、値段を読み間違え、20000円ほどで購入したと思っていたが、実際は100000円かかっていた。

→そのまま乗った。吹き飛べ俺の金・・・!!

 

 

ネパールからカタールへ飛ぶため空港へいくと、チェックインカウンターにて、荷物を預ける登録がされていないといわれ、あやうく超過金額として2万円ほどとられそうになった。

→チェックインカウンターの優しいお姉さんが、「それ全部手荷物にしちゃいな!」と言ってくれて事なきを得た。あのときは本当にありがとうお姉さん・・・!!

 

 

カタールで1日つぶしたのだが、物価が高すぎて、一瞬にして50ドルが吹き飛んだ。

街から空港へ戻るためのタクシー代が払えなくなり、20kmの道のりを、23kgの荷物を担いで歩くはめになった。

 

 

空港にて、カタールからタンザニアへいくには復路の航空券も購入しなければならないといわれ、あわや飛行機を乗り過ごしかけた。→

泣く泣くまた10万円のチケットを購入し、飛行機に乗った。(のちに、この復路の航空券はキャンセルして返金してもらった)

 

 

【2月上旬】

タンザニアに到着した初日、晩ご飯を食べていたら現地民に絡まれ、いつの間にかホームステイすることになった。

→結局、3日間そこで寝泊まりした。

 

 

ホームステイ先の人たちは優しげだったが、やたら行動を拘束され、高額なキリマンジャロツアーの契約を押し付けてきて戦慄した。

→逃げた。一人でツアー会社に突入してみたら、金額が300ドルも違った。

 

 

モシで最安値のツアーを探し、ポーターを雇わないという条件のもと、5泊6日のマチャメルートを、チップ代込みで950ドルで契約することに成功した。

結果、後に死にかけることとなった。

 

 

【2月中旬】

キリマンジャロ(標高5885m)を登った。

気温がマイナス10℃を下回る中、テントに穴が空いていたり、寝袋が対応温度20℃だったり、高山病の薬をガイドが飲ませてくれなかったり、ポーター雇わずに荷物自分で運んだせいで、死にかけた。(わりと本気で)

 

 

キリマンジャロ登頂後、無気力になり、1週間ほど宿で沈没した。

→オーストラリア人のベンジャミンと仲良くなった。

 

 

気力を取り戻し、有名なサファリツアーに4泊6日で参加した(金額はチップ込みで600ドル弱)。

→サファリ内で寝る日、野生の象が突入してきて戦慄した。

 

 

【2月下旬】

ザンジバル島へ行こうと思ったら、ATMからお金がおろせなくなり身動きがとれなくなった(この旅2度目)

→再び両親に泣きつき、送金してもらった。

 

 

途中帰国の途中、乗り継ぎの関係で寄ったセーシェルという国で空港の係員と大げんかになり、あわや警察沙汰の事態に発展した。

→同じ境遇にあった中国人のお姉さんと仲良くなり、宿をシェアした。

 

 

東京に到着。しかし実家は愛知にあるため、移動費を抑えるためヒッチハイクにて実家を目指した。

100台声をかけても止まらず、日本の冷たさを肌で感じた(一方で、その10倍の温かさを感じた)。

 

 

なんとか車を乗り継ぎ、18時間かけ刈谷ICまで帰ってきた(朝7時)。トラックのナイスな運ちゃんと話し込んで徹夜だったが、この旅も最後だし身体追い込もうと思い、実家まで30kmの道のりを、22kgの荷物を持って歩き通した。

→途中辛すぎて、道ばたで1時間ほど気絶したように寝た。結局、家に着くまで11時間かかった。

 

2月26日18:00、旅終了。

 

本当、いろいろあった

今思い返してみても、ひとつひとつの事件が一級品だった。本当はひとつひとつ記事にしようと思っていたんだけど、なにしろ書くことが多すぎてやる気にならず、しかし書かないと他のことも書けないし・・という感じで、気付いたら放置してしまっていた。

このブログを楽しみにしていてくれた人、本当にごめんなさい。(コメントを下さった人など、少なくとも数人はいらっしゃるよう。)

これからはきちんと更新していきます。

 

日本に帰ってきたその後

6ヶ月のセブ島インターン生活、2ヶ月半の海外放浪生活を終え、日本に帰ってきたわけですが。ほんとうに、日本って快適ですね。

 

御飯は美味しいし、お風呂はあったかいし、友達もたくさんいるし。

日本。。なんていいところなんだぁ。。。

 

 

とか言ってたら、

いつのまにか40日もニートをしていました。

 

帰ってきた当初は僕の生還を歓迎し、「生きてるだけでいいのよ」なんて言ってくれていた両親も、家でグータラする僕を毎日みていくうちに、「あんた、社会に出る気あんの?」と説教するようになりました。時の流れというのは人を変えます。

 

そんなだらしない僕も、いよいよ重い腰をあげ、昨日、ようやく東京へと帰って参りました。

それは就職活動のため。大学院卒業のため。未来のために、僕はまた頑張らないといけません。

 

たとえ東京人が恐ろしかろうと、僕は負けない。

 

てか、東京の女の人って怖くないですか?

さっき乗り継ぎの関係で新宿歩いてたんですけど、ヒルナンデスに出てる女優みたいな格好した女の子ばっかり歩いてた。

そんなきらびやかな世界の中で、僕はしょぼくれた格好をして、80Lのバックパックとフルサイズのスーツケースを持って歩いてたんですけど。これって、みんなユニフォームを来てる野球の試合に、一人海水パンツで参加するようなものですよ。はっきりいって。

まじ辛かった〜。

 

僕は、お化粧ばっちりで東京乗りこなしてる振りをしてるだけの女の子より、ザめしやでバイトしてるあか抜けない女の子の方が好きです。

 

 

話がそれました

というわけで、いろいろありましたが、僕は無事です。

書きたいことは山ほどありますので、これからも僕にまつわるいろんなことを記事にしていこうと思います。

旅のことを書いたり、陸上のことを書いたり、そうかと思ったら急に写真ばかり載せた記事を書いたりしてきて、このスタンスはこれからも変わりませんが、どうぞよろしく御願いします。

 

それでは、また。