
最近読んだある記事があまりにも面白かったので共有します。
数分もあれば読めるので時間がある方は是非目を通していただきたいですが、一言で言うと「日本人はお金やモノに恵まれているが、こころは飢え苦しんでいる」っていう内容です。
全文引用したいくらいですが、特に印象深かった部分を抜粋。
われわれはわれわれのこころの問題を、科学であるとか経済であるとか換金可能性であるとか、そういういかにも現代に相応しいびっとしたものごとに付随する副次的な何かだと思い込もうとしてきた。それは間違いなく間違いだったと思う。
(中略)
幼い頃から正しい選択を繰り返し、正しい学校に進み正しい会社に就職し、高ランク高収入の地位を勝ち取ることが「幸せ」そのものであるというのは、この世界に広く行き渡ってしまった幻想だ。こころが豊かであることは、決して「成功」に付随するオマケではないのだ。それ自体、深い苦悩と努力を通して勝ち取らなければいけない。そしてそうした勝ち取ったものには、例えば「年収数千万」と同じ程度には、その人の人生を支えてくれる実体があるのだ。
いやー。刺さります。
思えば僕は、「偏差値」というものを常に気にしながら生きてきました。
いままで経験してきた定期テストや陸上競技の試合、受験、就職活動。
そのすべてで、僕は「他者と比べて勝っているのか?劣っているのか?」ということを確かめるためだけに努力してきました。そして、人より勝ることによって、幸せになれるものだと妄信しておりました。
で、最近ようやくなんとなく分かってきたのは、競争に勝つことと幸せになることは、ひょっとするとどうやら同義ではないらしい。ということ。
いや、確かに競争に勝つことで幸せになれることもありますが、それらは決してイコール関係で結ばれるものではないということです。
負けたって幸せにはなれるし、逆に、勝ったって幸せになれるとは限らない。
「幸せ」と「勝つこと」は、友達関係ではあるけど、同一人物ではない。
「勝つこと」と仲良くなれたからといって、「幸せ」と仲良くなれるとは限らない。「幸せ」と仲良くなるには、それに応じた接し方が必要なのだと。
そんなことを感じている25歳、リクルートスーツ@TULLY’Sです。
あと、偏った価値観の中で行われる競争&勝利は、特に幸せとの交友関係が薄い気がする。
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まとめ
「バスケットの国アメリカの 空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなぁ・・・」
出典:スラムダンク22巻
なんとなくイメージはこれに近い。安西先生の元教え子である谷沢が手紙に残した言葉ですね。(この後、谷沢は挫折から立ち直れず事故死してしまう)
「幸せの青い鳥」にも近い気がする。
要は、現状に不満を感じていて、あそこにいけば俺だって・・・!!なんて思っても、じゃあ実際にあそこへいってみたら、青かった鳥はあかくなってて。で、やっぱりここじゃなかった、こんどはそっちだ!というふうに環境に小田絵を求め、無限サイクルに陥る。
まぁ、現状不満足な想いがエネルギーを生み出す側面もあるし、一概には言えないことだけど。
個人的には、もっと爽やかに生きていけたらいいのになあ、と思う。
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ふと思ったけど、幸せって”愛”と似てますね。←いいこと言った。