
24年間生きてきたけど、自分がいかに自立していないか、最近強く自覚するようになった。
ここでいう「自立していない」っていうのは、
自分が「する」という意識より、誰かに「してもらう」という意識に思考が支配されている状態のこと。
これを自覚するようになったのは、以前セブ島で開催された、とあるセミナーに参加してからだ。
海外インターンセミナーの出来事
そのセミナーは「とにかく海外にでよう!興味があれば、留学も海外インターンも紹介してあげるよ!」っていう内容のものだった。
ある程度話を聞き終わって、質問タイムがやってきたときに、俺は
「海外インターンにいって英語を学べると思っていたら、結局ほとんど日本人としか関わる機会がなくて、海外に行った意味があまり感じられなかったという話を聞いたことがあります。実際、海外インターンの実態はそんな感じで、英語を学ぶには厳しい環境なのでしょうか?」
って質問したんだ。
それに対して、海外インターンの内情に詳しい、さっきまでプレゼンをしていたお兄さんは
「海外インターン、特に有給インターンは、インターン生を働き手として考えている。だから、もし英語もろくに話すことができなくて、他の英語圏の人と円滑にコミュニケーションがとれないとなれば、コピー取りなどの単純労働を強いられることは必至だろう。これはもうしょうがない。だから、もし海外有給インターンで外国人と英語を使ってバリバリ働きたいのなら、まずは英語が使えるということが前提になるね」
と、丁寧に答えてくれた。
はっとした。
つまり僕は、
「インターン生なのだから、英語も仕事も教えてもらうものなのだ」
という、果てしなく受身な考えをもって質問をして、その考えを大人に一蹴されたわけだ。
隙間があったら入りたいような、恥ずかしい気持ちになった。
自分は24歳にもなって、まだ受身の思考をしていたのか。
親鳥がエサをもってきてくれるのを、ただ口を開けて待っていただけだったのか。
自分が情けなくなった。
昔からそうだった
そういえば、僕がこれまでの人生で何かしらうまくいっていないとき、僕はその解決策を他人に求め、自分の力で解決しようとしてこなかった。
ものごとは、自分が能動的に働きかけさえすれば、たいてい好転するものなのに。
いつも何かしら自分以外のモノのせいにして、問題を解決する前に、そこから逃げてきてしまった。
そんなことを考え始めたら、これまで自分の成し遂げてきたことですら、すべて、受身の姿勢が抜けないままの状態でなされていたのだということに気づかされる。
自分がゼロから何もかもを築き上げて成し遂げたことなど一つもなく、
親や、友人、先輩、後輩、所属する組織など、あらゆるものに支援してもらっていたからこそ、成し遂げられたことばかりだ。
今までドヤ顔で「俺はこんなことを成し遂げてきた」って武勇伝のように語ってきたことが、いかに厚顔無恥な行為であったか。
自分のあまりの未熟さに、頭がくらくらしてきた。
だけど、卑屈になる必要はない
けど、だからといって「俺なんて・・」っていう風に卑屈になる必要はないと思うし、必要以上に謙虚になる必要はないと思う。際限なく他者に感謝していたら、そのうち自分が小さくなってきてしまいそうだし。
最低限、自分がいろんな人、ものに支えられているんだっていうことを忘れずに、モノゴトを見つめていけたらいいかなと思う。
まとめ
いいかげん、物事がうまくいかないことを他人や環境のせいにするのはやめよう。
物事を能動的に見つめ、自分の人生の舵は自分の手で握る。
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