
こんにちは、25歳大学院生のなな(男)です。
約700日間の就職活動期間を経て、ついに就職先が決まりました。
就職先はwebコンサル会社。マーケティング部隊で働きます。(たぶん。配属どうなるかはまだ不明)
この2年間、就職先について悩んで悩んで悩み抜き、まぁーつらい時期が続きましたが、最終的にとてもすばらしい会社様とご縁があり、神様ってほんとにいるんだなーと思いました。
就職活動に挑む前は某2chよろしく「就活圧勝したけど質問ある?」的な記を事書いてバズらせようと目論んでいましたが、ふつうに書類で落ちまくり面接でも落ちまくったので断念。
それに、最終的に決まった就職先はエントリーシートなしでいきなり役員面接だったり、加えて結構コアなインターンがあったりして、どうやらマジョリティに向けて就活情報を発することは難しそうです。
なので、本記事ではここ数年の僕の紆余曲折を振り返り、就職先が決まるまでの流れを振り返りたいと思います。
一つのモデル(?)として、これから就活に挑む学部生、大学院生や第二新卒あたりの人の参考になれば幸いです。
photo by Patric Emerson(CC-BY SA)
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もくじ
大学から大学院受験を志した理由

photo by John Althouse Cohen(CC-BY SA)
まず、僕が大学院受験を志した経緯から。
高校から陸上競技に打ち込み、このまま一生陸上と寄り添って生きていこうと思っていました。しかし、なんやかんや経験するうち
「陸上だけで人生終えるなんて、ちょっと世界せますぎないか?」
と、考えが変わっていきました。
しかし、陸上以外とくに興味を持たずに生きてきたせいで、自分が何になれるのかまったく見当がつかない。
進路に悩み途方に暮れていると、陸上部の先輩から
「じゃあ、東大の院いけばいいんじゃね?」
と言われ、そうしようと決意しました。(大学3年生の1月のこと)
それからおよそ8ヶ月間、未だかつてないほど勉強し、院試では上位30%に入る成績で合格を果たしました。
大学院から研究職に進まず就職しようと考えた理由
大学院の専攻は運動生理学。
当時の僕は
「もし研究で革命的な練習方法とかを考えられるなら素敵だな。それなら研究者とかなってもいいかな」
と、浅く考えていました。
しかし、スポーツの現場とスポーツ科学の研究の間には なるほど深い溝があることに、ほどなくして気づきました。論文をいくら読んでも、「で、それがスポーツ現場にどう活きるの?」というところが見えてこない。それよりも「現場の最前線で経験則を元に組まれている練習メニュー」の方が、はるかに先進的であるように感じてしまいました。
また、実験は非常に地味で道のりが長く、一つのミクロな事実を証明するために、3ヶ月4ヶ月という膨大な時間を費やすことが求められ、自分自身がその世界で頑張り続けられるビジョンがまったくわきませんでした。
そんなわけで、大学院1年の12月ごろからいそいそと就職活動をはじめました。
挫折の就職活動(1期目)
とりあえず適当な合同説明会に参加し、リクナビやマイナビといった大手就活サイト、とくに有名でもないサイトにも片っ端から登録しました。
相変わらず自分がしたいことがわからず、
「とりあえず大手企業みたいな、カッコええ就職先から内定がほしいわぁ」
と考え、エントリーシート作成やインターンシップに臨みました。(なんかごめんなさい)
ビジネスコンテストで優勝したり、上海の工場の見学に連れて行ってもらったりしましたが、いまいちピンとこないまま推薦面接を適当に受け、落ちるという日々が続きました。
就活をする上で最も重要なのは「自己分析」であると本で読み、
「自分の芯はどこにあるのか?自分は何がしたいのか?」
と考えました。
しかし自分のしたいことなんて何にも浮かばず、夜な夜な近所を何時間も歩き頭を悩ませながらドツボにはまっていきました。
昨年4月下旬、最後に残った某飲料系大手メーカー、製薬メーカー2社の役員面接で落ち、その年の就活は終わりを告げました。
休学し、フィリピンのオンライン英会話会社で海外インターンを経験

休学を決め、昔からなんとなく憧れていた海外へいくことにしました。世界一周でもしてこようかなと思いましたが、いろいろ考え、留学かインターンで視野を広げようと考えました。
そんなとき、2年前にインドを旅行した時たまたま知り合った人が家に遊びに来て、
「俺の知り合いがフィリピンでインターン生を募集してるけど、いってみたら?」
と言われました。(なんというタイミングのよさ!)
もちろん、即決しました。
6月にインターン先の担当者と面談(スカイプ)し、2週間後には現地へ行くことに決定。東京の家を引き払い、右も左もわからないままフィリピンへ飛びました。
当時僕が話せた英語はnice to meet youとhow are youだけでしたが、脂汗をぼたぼた垂らしながら英会話を頑張りました。苦労しましたが、フィリピン人従業員と無理やり意思疎通を図るうち、1~2ヶ月ほどでなんとかなるようになりました。
業務内容は、英語講師の採用やクライアントからの問い合わせに対する返信、スカイプ対応、トラブルシューティング、オフィスの管理、掃除、英語講師の愚痴を聞く など。
どれも新鮮で楽しいものでした。また、上司から「適当に会社のブログ作って記事更新してよ。」と言われ、よく分からないままブログを作り、記事を更新するようになりました。
これが、僕がブログに興味を持つことになったきっかけです。
会社のブログをよりよいものにするために他の方のブログを参考にするうち、「あれ、これ、俺個人でもできるんじゃね?」と思い、会社のブログとは別で自分のブログを立ち上げました。そのブログがこれ、「NANA’s ESCAPISM」です。
会社の方はfc2の無料ブログなのに対し自分のブログは独自ドメインでサーバー借りて運営するという、ちょっとアレな状況の中、両方のブログで記事をしたためるようになりました。(それと比例して英語の勉強をしなくなりました)
マネージャー業務は楽しいものでしたが、唯一辛かったのがシフトの時間です。僕が勤めている間に授業の開設時間が延長され、一週間のシフトの中で、
- 午前3時から働く日
- 午前8時から働く日
- 午後2時から働く日
- 午後6時から働く日
が混在する日程を組まれ、生活リズムがぐちゃぐちゃになりました。この経験から、
企業に心臓を握られるってのは恐ろしいことだ
と学びました。
半年間のインターンを終え、3ヶ月弱の旅へ。

photo by Samuel Tristan(CC-BY SA)
ようやくインターンを終えたのは昨年12月。そこから、ミャンマー3週間、ネパール1ヶ月、タンザニア1ヶ月、旅をしました。
(旅中に書いた記事はこちら)
念願の「世界を自由に周る旅」を始め、超ワクワクしながら旅をしていきました。フィリピンで一緒に働いていたヨシさんとミャンマーを旅して飲んだ地ビールの味は、いまでも忘れられません。
しかし、ネパールの滞在3週間目くらいで
「クレジットカードからお金が引き落とせなくなる」
という事件に直面し、
「ああ、お金って有限なんだな」
と知りました。それと同時に、旅というのは決して自由なものではなく、戦略的に行なうべきものなのだと気づきました。
帰国後、東京に出てきて再び就活
帰国後大学院に復帰し、再び就職活動を始めました。
まだわからない「なにがしたいか」
ただ、この時になっても、未だに自分が何をしたいのかよくわかりませんでした。去年と同じように、特に行く気もないけど企業名が有名というだけでエントリーシートを提出し、面接(または書類)で落とされるという日々を繰り返しました。(学べ。俺。)
だけど今回の就活が前回と違ったのは、
「企業に依存するということは、人生をとてつもなく苦しいものにしてしまう可能性を秘めている」
というのを知っていることでした。なので、
どの企業へいくとしても、万が一のときのために、フリーランスとしてやっていけるだけのスキルやマインドを育てていこう
と考え、それが叶いそうな会社を選ぶようになっていきました。
そんなこんなである程度の数の大企業を受けて落とされてから、「ていうか、大企業へいってしまったら副業もできないし、歯車の一部的なスキルばかり身についてしまうわけだから、長期的にみたら結局企業に依存する形になってしまうんじゃないか?」と思い、ベンチャー企業に目を向けた瞬間に出会ったのが、今回内定を頂いた会社です。
はじめは
「ひょっとしたら」
くらいな気持ちで受けましたが、知れば知るほどに
「これはまさしく自分がしたかったコトでは..!」
という想いが強くなり、複数回の選考の後、内定を頂いた瞬間に入社を決めました。
実は他社様からも内定を頂いていたのですが、恐縮ながらそちらはお断りさせていただきました。そちらの会社も超超優良企業で、身体が二つあるなら両方に入社したいくらいでした。それに、貴重な内定の一枠を僕のために空けてくれていたことは、本当に嬉しく、感謝してもしきれません。
まとめ

photo by amanda tipton(CC-BY SA)
ほんと、ここ数年いろいろと辛かったけど、ようやく先が明るくなってきた様な気がします。
卒業できる様にがんばろ。爆
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